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森のじかん

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標高1300メートルのところにある娘が通う保育園では「森のじかん」というのがあって、
子どもたちは保育園に隣接している森で多くの時間を過ごしているようです。

2歳半の娘からはまだ細かな話を聞くことはできませんが、
先生がその日にあったできごとを書いて知らせてくださる連絡帳には、
イチゴジャムサンドをつくって森へもっていきみんなで食べたこと。
木立に吊るしたハンモックにのってゆらゆら揺らせて遊んだり、沢で水遊びをしたこと。
野生の鹿に遭遇した!なんてことまでも、わたしの好奇心や少女心をもくすぐられるような
ことがたくさん記されています。
おまけにシロツメグサでつくった花冠や、松ぼっくりやトチノミ、鹿のフンまでも…
森で出合った宝ものを、大切に持ち帰ってきます。

先日、先生たちが月に一度発行するお便りに興味深いことが書いてありました。
娘のクラスでは、6月頃からはほぼ毎日森までお散歩に行っているらしいのですが、
最初の頃はお散歩に行くことがとにかく嬉しくて楽しくて、ご機嫌だったようです。
ところが2〜3週目になってくると様子が少しずつ変わってきて、
子どもたちが思いきり気持ちを表現し、ぶつかり合うようにもなり
「◯◯ちゃん、だいっきらい!もういっしょにあそばない!!」なんて言い合うことも。
そんなときはしばらく無言が続いたり、どちらかが先に遊びはじめたりもするけれど、
それぞれの子どもに「ごめんね」の気持ちがみられる瞬間があるのだそうです。
森というやすらかな存在に見守られながら一緒に育ち合っているのだと感じたという、
私よりもぐんとお若い先生のあたたかなまなざしに「森に見守られている子どもたちを
見守ってくださってありがとうございます!」と感謝の気持ちをつぶやきつつ、
それは大人もおなじではないだろうかと思いました。

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八ヶ岳山麓に移り住んで半年が経ちました。
あたらしい暮らしの中で、少しの時間を見つけては森を歩いています。

森に足を踏みいれたら、一瞬ひんやりとそこから空気が変わります。
晴れていれば、そよぐ風に揺れる木漏れ日につられて足どりも軽く、
また小雨降る霧がかかったときに歩くのもいいもので、草木や苔、石ころや岩の水水しさに
わたしまでも潤っていくようです。
木々でできた繭のような森に包まれていると、子どもたちのように感情があらわになってきます。
思わずうしろを振り返り来た道をたしかめてみる。
そんな恐怖心も通り過ぎたとき、しだいにじぶんの中に静けさが訪れます。

これまで暮らしていた海の近くでは、海や空の大きさや広がりをつねに感じれるのは
とても幸せなことでした。
けれども機織りをするわたしにとっては、外へ外へと広がっていこうとするエネルギーを
織ることに集中するために抑えなくてはならず、苦労する面もありました。
森を歩くことは、糸を染めるための草木を探すこととは違う意味で、機織りと連動しているように
思います。
森深くにつづく小道は自身へともつながり、いつのまにか無心に織っているみたいな…
はっきりと目に見えるものではないけれど、そこには確かに「工程」があるように感じます。
森に見守られ、ときには力も添えてもらいながら染めて織る、わたしの「森のじかん」です。

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夏の終わりに子どもたちが見つけてきたモノたち。
蝉の抜け殻にヤマボウシの実、可愛らしい紫色の花をつけたなんという名の草花でしょうか。
あら、動いているカナブンまでいます。
それにしても、森のなかで自由に駆けまわっている娘に、最近ではわたしの方が森での過ごしかたを
教わっています。

2014年9月20日 | Posted in 綴る |