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受いれる

「伊那にいるときは夜寒くて布団から顔出せなかったもん。こっちはちゃんと顔だして寝れるからいいよ」
となんだか楽しそうに話す友人の佐藤明子さんは山梨県北杜市に移住してきて6年になる、わたしたちの先輩です。
ご主人の仕事の関係でこちらに来るまえ、長野県伊那市に一年半暮らしていた冬をそんな風に教えてくれました。
ここは寒い寒いといっても、さらに上がいるんですね。
凍結路を恐る恐る車で走っていると「こんなとこでビクついてんなよ!」と言われてるかのように勢いよく追越し車線で抜いていくのは長野ナンバーだったりしますし、長野方面からやって来た雪を高く積もらせた車を見ては、あぁ冬の日常が違うのだなと思うのです。

伊那という地名を聞いて、昨年末に92歳で逝去された加島祥造さんを思い出しました。
詩人であり、アメリカ文学研究者、翻訳家、随筆家、墨彩画家。
90年から長野県駒ヶ根市・伊那谷で独居し、老子について独自に深めていった加島さんは、自然豊かな谷の暮らしのなかで思想を体現していきました。
そんななかで、07年に発表した詩集『求めない』(小学館)は大ベストセラーとなり、12年の『受いれる』(小学館)は、これまで幾度もわたしの心に静けさをとり戻してくれました。

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「草木で糸を染めたありのままの色を受いれる」なんてことを、かつてわたしは平気で口にしていました。
でもある日「本当に受いれられているの?」「だいいち、草木の色をちゃんと引き出せているの?」疑念と羞恥が入り交じったものがわき上がってきました。
そんなモヤモヤを引きずっていたときに『受いれる』の本と出合い、そのなかの一節を読んで、身体がすぅーっと軽くなっていったのです。

「求めない、そして
 受いれる―

 この心持になったら 
 最善さ
 でもね
 そんな最上等は
 求めないことさ
 現実の自分はその
 正反対だからね

 でも 
 その正反対の自分を、受いれよう 
 すると
 振り子は戻りはじめる!」

加島さんは心に浮かんだ言葉を書き留めて、それらを整理しようとしたときに、長年自分を支えてくれた最良の友の死に直面します。
悲しみや寂しさから逃げてばかりいた加島さんが、しだいに受いれるようになっていく。
「受いれる」の言葉(思想)が実体験として、生きていく支えになったのだといいます。
たしかに…ときには容易でないこともあるかもしれません。
けれども、先達の言葉を噛みしめながら、できるだけ「受いれよう」と思っているわたしがいます。


話は冒頭に戻りまして、伊那にも暮らしていた明子さんですが、子どもと遊ぶのが好きで、自分でつくったオリジナルのおもちゃを集めたお店をいつかやりたいと考えています。
そんな明子さんがつくった「回文カルタ」。
「ことりかりとこ」という句が昨年のお正月にふと思い浮かんでから、もともと俳句に関心をもっていた明子さんは、言葉と戯れる回文の魅力に目覚めたそうです。

「あかるいきつつき いるかぁ」
「いたちか はにわには かちたい」
「うなぎなう」
「えにかいたいか、にえ」
「おかしな かなしかお」…
と続いていく全部で45の回文を友人と出し合い、そこに明子さんが絵を描いていきました。
最初は印刷することも考えたそうですが、紙の質感と厚みにこだわりつつ、子どもたちには気軽にいっぱい遊んでもらえるよう価格を抑えたかったことから、まずは、消しゴム版をつくり一枚一枚摺っていく方法でカルタづくりをはじめました。
完成してまもなく一年となる手づくりの回文カルタは、もうすでに110箱以上を子どもはもちろん、大人のもとへと届けられています。

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岡山で生まれ育ち、仕事をしていた東京でご主人と出会い、伊那は新婚時代に過ごしたそうですが、縁もなにもない見知らぬ場所へ行くことに明子さんはまったく迷いはなかったといいます。
木工家具をつくっているご主人のサポートや家事、育児、そして自分の仕事と、せっせと慎ましく山の暮らしをする彼女は、わたしよりも随分と若いのに、いろんなことを大らかに受いれているように見えます。
そんな明子さんがまっすぐな想いでつくったカルタは、ちょっと荒削りで、どこか懐かしいのです。


おまけに、私も回文をつくってみました。
「うけいるいけう(受けいる 活け魚)」
自分のさだめを悟ったかのように、なんだか寂しげに見える生け簀の中の魚。
ちょっぴり切ない絵が思い浮かんだのですが…どうでしょうか?

  
追記:
この記事を掲載した後日、明子さんから手紙をいただきました。
そこには、な、なんと「うけいる いけう」の札も入っていたのです。
「『さだめを悟った』という絵を描いてみたいと思ったのに、なんだかマヌケな『へー たべてくだせー』というような魚になってしまいました。
カルタをつくってカルタがいろんな人を私と近づけてくれました。」と書かれていた手紙。
回文カルタに惹きつけられた一人として、これからも明子さんとカルタといろんな人がつながっていくことを楽しみにしています。

2016年2月16日 | Posted in 綴る |