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1908年の手紙

鎌倉にイタリアのワインと食材が買えて、料理も店内で食べることができる「OLTREVINO(オルトレヴィーノ)」というお店があります。

最初に訪れたのは、数年まえにふらっと鎌倉を散歩していたときのことでした。
センスがよい店構えのガラス越しに、カウンターのショーケースやワインに調味料らしき瓶など心そそられるものが見え、足はそのままガラス扉の内側へと向かっていました。
お店に入ると両脇の美味しそうなモノたちが気になりつつも、奥に置いてあった大きなテーブルに目が釘付けになりました。
ヨーロッパのものであろうアンティークの木製ダイニングテーブルは、装飾が一切なく、素朴でやわらかな印象です。
このテーブルでどれだけの食事が囲まれて、どんな会話がなされてきたのでしょう…そんなことを想像してしまう、積み重なった時間が染みこんだいい味なのです。
6人はゆったりと座れ、8人10人と集まれる大きさのテーブルは、家族はもちろん客人を招いたり、思いっきり作業もできてしまう、これからの暮らしにまさしくわたしが探していたものでした。

一目惚れに舞いあがってしまったものの、冷静になればこれはお店のモノ。
―いや、でもせめてどこで見つけられたのかは聞きたい。
―はじめて来たお店なのにそれは厚かましい。
―いやいや、でも聞きたい。
しばらく一人問答を繰り返したのち、思いきってお店の方に「このテーブルは…」と尋ねてみたのでした。
すると「これはわたしが扱っているモノ(商品)なんです。」という思いがけない答えが返ってきました。
そんな訳で、100年以上まえからイタリア・トスカーナ州のルッカという町で使われていたというテーブルをすんなりと迎えいれ、今ではわが家の中心にあります。


イタリアから遥々やってきたテーブルをわが家に橋渡ししてくださったのが、ご主人と「OLTREVINO」を営みながら、「OVONQUE(オヴンクエ)」というオンラインショップで、イタリアアンティークやキッチンツールを取り扱っていらっしゃるインテリアコーディネーターの古澤千恵さんです。
鎌倉にお店を開かれるまえはご夫婦でイタリアに10年暮らし、いまでもトスカーナにある家と行ったり来たりしながら、イタリアの風をわたしたちに届けてくださっています。
古澤さんのお眼鏡にかなった美しく魅力的なモノたちを、わたしはいつも楽しみにしているのです。

そんななかで、またしても心を鷲づかみにされたモノがありました。
「『1908年の手紙』
なんてことないシンプルな紙に、ぎっしりと書かれた文字。
思いをしたためた手紙なのですが、私には手紙に見えません。
まるで絵のような美しさ。額に飾ったら、どんなに素敵なことでしょう。」
とご紹介くださった古澤さん。
その文句にわたしはいてもたってもいられなくなって、さっそく譲っていただいたのでした。

浮き立って家人にその話をしたら「へぇ、よかったねぇ」と言葉だけの心がこもってない返事。
―ふぅ、まったくわかってない。
107年もまえにイタリアで書かれた手紙が時空を超えて私のもとにやってきたというのに。
書いた本人は、まさか107年後に日本にいる女性に届くなんて想像もできなかったことでしょう。
歴史的人物がどなたかに宛てた手紙を美術館や博物館で観るのとは違うのよ。
1908年に生きていた誰かも知らないイタリア人の手紙が巡り巡ってわたしに届くという、そんな奇跡のようなできごとがどうしてわからないのかなぁ――と口には出しませんでしたけれど。

それは、フィレンツェの常設蚤の市「チョンピ」で古澤さんをイタリアアンティークの魅力に導いた方からお譲りいただいたそうです。
「手紙の内容は、どうやら男性が女性に宛てたもののようです。
細かな字のうえ、筆記体ということもあり、書かれている詳細まではわからないのですが…」
と古澤さんは申し訳なさそうにおっしゃいました。

―ええ、それでいいのです。
プラベートな手紙を無断で読むことには、わたしも抵抗があります。
個人の想いをしたためた手紙から、どうしても書き手の息づかいのようなものを感じてしまうのです。
手紙を読むことができないから尚更かもしれません。
時を経て白茶に変色した紙と暗号のように解読できないイタリア語の文字から、その人が手紙にこめた情熱がじんじんと伝わってくるようです。


わたしが制作する「詩布」は、詩(言葉)が書かれた和紙を紙縒にし、織り込んだものです。
布から、文字そのものを読むことはできません。
そのかわりに「詩布」の風合いに潜んだ言葉をどう読むかは、布に触れた人に託します。
読めないからこそ布に宿る言葉があるように思う、わたしの試みです。

「1908年の手紙」と「詩布」。
それぞれにある秘められた静かな情熱(エネルギー)に、わたしはつよく心惹かれ、突き動かされるのです。

2015年9月1日 | Posted in 綴る |