綴る

葬儀を終えて

先月末に嫁ぎ先の母が、その10日後にはその夫である父が亡くなりました。
それぞれに病気療養中で、養護老人ホームに入所していた父と入院していた母を娘が春休みになったら見舞うために帰省しようと悠長に構えていたら、こんなに早く二人とも逝ってしまうとは—なにもできないままの死でした。

実家がある山口県で育った時間よりも家を出てからの方が遥かに長くなった夫と夫の弟は、危篤の連絡を受けてから瞬時に判断していかなければならない数々の事柄について、「父さんと母さんはこの方が喜ぶのではないか」と思いを寄せて判断していきました。
そんな息子たちの選択から行われた葬儀は、親族や近しい人たちが「二人はとても善人だった」と聴かせてくださる、悲しみより勝って父と母の一生を称える時間となりました。

自営業者だった両親は、自宅が仕事場でもあり長い年月をずっと一緒にいました。
病気になったことで離れ離れになってしまいましたが、「ようやく二人とも家に帰ってこれた」と夫はどこか安堵しているようでもありました。
たしかに実家の仏間に設置された父と母の位牌や遺影、骨壷が並べられた祭壇は、春の柔らかな光が射し込むなかでお雛様のように見えたのです。

小学一年生の娘にとって、はじめて目の当たりにした人の死をどう捉えるのだろうと見ていましたが、ごく自然に受け入れているようでした。
「そこまでしなくていいんだけど…」ということまで、彼女なりに葬儀に関わっていました。

振り返ると、山口とわたしたちが暮らす山梨の距離を理由に帰省するのは年に1〜2回程度で、山口という土地や夫の実家に積極的に馴染もうとしていなかったように思います。
けれども死に接した濃密な2週間に、わたしが知ることのなかった父と母、そして先祖のことを知ることができました。
葬儀を終えて、今ごろ先祖と娘をつなげる責務というものが芽生えた至らぬ嫁を、父と母は許してくれるでしょうか。

Date 2019-03-10 | Posted in 綴る |