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庭の境界


わたしの頭の中には、以前に暮らしていた鎌倉の染料地図があります。
できるだけ身近にある植物で染めたいと思っていて、自宅の庭木はもちろんですが、家の近所を散歩しながら出合う植物で染めるたびに、頭の中の地図に場所と色が記憶されていきました。

たとえば春先になるとヨモギが顔をだす静かな小道があり、モクレンやキンモクセイが庭にあるあの家は毎年お盆まえに茂った緑葉を整えることを知っています。
また秋にはドングリがたくさん落ちる谷戸、そして梅花の咲く前に寺の境内の枝を剪定することは参拝したときに見つけました。
そのほか染料としても大活躍してくれるクサギやハンノキ、キブシ、ヤマモモ、サンゴジュ…があるところなどもインプットされています。
ところが実りの季節になり、ねらいを定めた場所に落果した実をはりきって拾い集めに行くと、いつのまにか樹木が伐採されてしまっていたなんてこともよくあり、定期的な更新も必要なんです。


じつは、鎌倉に14年間暮らしていたあいだに、市内だけで5回引越しました。
どちらかといえば大家さんの都合であったり自分の本意でないことのほうが多く、染め織り道具一式を抱えて大変だと感じることもありました。
けれども、移動を重ねるたびにわたしの染料地図が広がっていくことを何回目かの引越しで気づいたのでした。

引越すごとに散歩コースもかわり、その度に新しく出合う植物もありました。
鎌倉の山側と海側のそれぞれに暮らしましたが、植生はまったく違います。
山側の家から海近くへ引越すときに庭で育てていた山野草も移し、しばらくして潮風に耐えられず枯らしてしまったときには、連れてきてしまったことを悔やみました。
山で育つ繊細な植物の一方で、潮風にも負けない逞しい常緑樹は海が似合います。
常緑樹の肉厚な緑葉から意外にも可愛らしい色があらわれたりもするんです。
植物と色の記憶の地図に描かれた場所を、わたしは親しみをこめて「自分の庭」のように思っています。


先日、八ヶ岳南麓在住のランドスケープデザイナーで園芸家でもあるポール・スミザーさんの講演を拝聴してきました。
スミザーさんは生まれ育ったイギリスから日本にいらして約20年。
日本語もお上手で、イギリスの庭のことから八ヶ岳に自生する植物の魅力、現在のプロジェクトのことをユーモアを交えながらお話くださいました。

講演のテーマは「野草の庭づくり」だったのですが、そのなかでスミザーさんは何度も「肥料を与えてはいけない」とおっしゃっていました。
日あたりがいい、日陰で暗い、湿っぽい、乾燥しているといった、その土地の特徴に適した野草であれば、肥料も消毒も必要ないといいます。
もともとその土地に合わないものは残らない、それを肥料を与えたり消毒して無理に残そうとすると、本来存在すべき野草が消えてしまうことに警鐘を鳴らしていらっしゃいます。

たしかに、自分の好みで選んだ草花の苗を庭に植えて、毎日せっせと水をやり、ときどき肥料もあげたりしたものの、世話をすればするほど逆に弱らせてしまったという苦い経験はわたしにもあります。
その土地に存在する意味をもつ植物はいきいきとしています。
居場所をみつけた植物が自立しながらもほかのものとも調和し響き合っているから、スミザーさんの手がける庭は美しいのでしょう。
そしてスミザーさんのいう庭というのは、自宅やガーデンデザインの依頼をされたところだけではないようです。
山や森に入って野草の種を採り、失われつつある野草を少しずつ増やしていらっしゃいます。


できることは野草の種ひと粒から。
わたしも自宅に野草の庭をつくっていきたいと思いました。
それぞれの家の庭で野草が育ち、広がり、その土地にあるべき植物が守られていくのなら、庭の境界は緩やかなほうがいいのかもしれません。

もちろん、ここ八ヶ岳山麓の染料地図もわたしの頭の中で描きはじめています。

2014年11月24日 | Posted in 綴る |