新しいアトリエで織りの仕事をはじめました。
織りの仕事には、織ることのほかに染めた糸を木枠に巻きとることや、織機で織る前工程の「整経(せいけい)」という経(たて)糸づくりがあります。
八ヶ岳山麓に移住してから一年以上暮らした仮住まいでは、以前いた鎌倉のアトリエで整経していた反物を織っていましたので、ようやく織るための一連の作業ができるようになりました。
久しぶりの整経だったことに加え、ちょっとだけ複雑な経縞(たてじま)でしたが、失敗せずに手はちゃんと動いてくれました。
20年近くまえに、京都の工房で修行しはじめたころは失敗ばかりしていました。
先生に任された染織の仕事をきちんとこなせず、先生や姉弟子に迷惑をかけてしまって本当に申し訳なかったです。
頭ではわかっているのに手が追いつかないもどかしさ。
当時暮らしていた古いアパートの部屋に毎晩帰ってきては、布団にもぐって泣いていました。
ちょうどそのころ、知人でキャリアが長い彫刻家と話す機会があり「失敗はしないんですか?失敗したときはどうするんですか?」と尋ねたことがありました。
「そのうちに失敗は失敗でなくなるよ」と彫刻家は教えてくれましたが、その意味がわかったのは、それから何年も経ってからのことでした。
作業をしていて、それまで自分だけではお手上げだった場面でも、ひとりで解決できるようになっていたのです。
またあるときは、失敗しそうになるまえに察知して軌道修正していました。
「失敗しないのではなく、失敗でなくなる」という彫刻家の言葉を、からだが理解したように思いました。
一反のきものを染めて織るあいだにも、何かしらのアクシデントはあるものです。
予期せぬことがおこったときに、それを失敗としてしまうか。
または好機ととらえ、計画よりもさらに魅力的なものにするか。
それが手仕事の奥深さであり、作る者の腕が試されるところでもあります。
最善であるためには、修練を積んでいくしかないのでしょう。
梅雨のころに引越してきた自宅とアトリエで、はじめて染めたのは庭にあった胡桃(くるみ)の木です。
鎌倉ではなかなか出合うことのなかった胡桃の木を、わが家の庭に見つけたときの嬉しかったこと。
勢いある夏の緑葉で染めてみると、まるで胡桃の殻のような色に。
それをさらに染め重ねたら、深みをました焦茶に染まりました。
この夏に染めた数綛は経縞にとり入れ、そして来年には一反分染めて無地の反物を織ってみるつもりです。
ゆっくりと過ごせる休日に、娘と栗拾いをしました。
ちょうど娘に読んでいた絵本『ぐりとぐら』(中川 李枝子 作 / 大村 百合子 絵 福音館書店)の中で、料理することと食べることがいちばん好きな野ねずみのぐりとぐらが森へでかけ「くりを かご いっぱい ひろったら、やわらかく ゆでて、くりーむに しようね」というくだりを娘が思い出し、大喜びで栗の実を拾っています。
そしてわたしのほうは「痛っ!」と言いながら栗の毬を拾いました。
さっそく栗の毬で染色し、実はくりーむではなく渋皮煮にしてみました。
秋の仕事がはじまっています。