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交差した言葉と絵

梅雨が明けて、草木の伸びる勢いはピークを迎え、鳥や虫の鳴き声が響いています。
人も 動物も 植物も 昆虫も 活発になっているこの時期、娘と読もうと選んだ2冊の絵本があります。


まずはターシャ・テューダーの『すばらしい季節』。
(原題『FIRST DELIGHTS』/末盛千枝子 訳/現代企画室)
ここで書くまでもないのですが、絵本作家・画家、そして園芸家としても有名なターシャ・テューダー(1915年—2008年)は、子育てがひと段落した50代半ばにアメリカ・ヴァーモント州の広大な土地で19世紀の開拓時代を彷彿させる自給自足をひとりではじめました。
身のまわりのほとんどをターシャ・テューダーの感性で手づくりされた暮らしは、物の消費されていくスピードが早い現代では学ぶことが多いように思います。
また彼女が長い年月をかけてつくりあげていった美しい庭は、今もわたしたちを魅了しています。

1966年初版の『すばらしい季節』は、農場で暮らす少女サリーが季節折々で自然にふれる日常のお話です。
サリーは、ターシャ・テューダーが夫と4人の子どもたちとともにニューハンプシャー州の大きな農場で暮らしていたときのわが子でもあり、コネティカット州で幼少期を過ごした彼女自身なのかもしれません。

ターシャ・テューダーは、本文の最後にこんなメッセージを書いています。
「これが サリーの 一年です いつも 目と 耳と はなと 口と 手で 季節のよろこびをさがします
花のにおいをかぎ 小鳥のこえをきき しずかに 夜空の星を みていたりするのは どれもみんな サリーの だいすきなことです
あなたのまわりにも こんなすばらしいことが たくさんあって きっといつも あなたが 気がついてくれるのをまっています。」


もう1冊は、詩人エミリー・ディキンソンの詩にターシャ・テューダーが絵を描いた『まぶしい庭へ』。
(原題『A Brighter Garden』/ カレン・アッカーマン 編/内藤里永子 訳/株式会社KADOKAWA)
エミリー・ディキンソンを愛読していたというターシャ・テューダーの挿絵を描くよろこびが伝わり「ようこそ」と輝いた美しい庭に招かれるような表紙に、わたしは絵本を開かずにはいられませんでした。

エミリー・ディキンソン(1830年—1886年)は、わが道を切り開き、作品が生前から多くの人に愛され、長寿であったターシャ・テューダーとは対照的な人生でした。
30代前半から55歳で生涯を閉じるまで、白い服を纏い、家の外へ出ることなく詩を書き続けました。
しかし、そのことがわかったのはエミリー・ディキンソンの死後で、膨大な詩稿が彼女の部屋から見つかったのです。
現実の行動範囲は限られていたのに、彼女の詩の世界はじつに豊かでどこまでも広がっていきます。
また生前は隠遁していた無名の詩人が死後にアメリカを代表する詩人となった、そんなどこかミステリアスな反動が、エミリー・ディキンソンを「アメリカ文学史上の奇跡」という所以でしょう。

この時期に光景が目に浮かぶ『まぶしい庭へ』にあるエミリー・ディキンソンの一篇です。
「みつばちは わたしをこわがったりしない。ちょうちょうは 知り合いです。
森に棲む きれいなものたちは 親しく迎えてくれる。
わたしが歩み入ると、小川の 笑い声が高くなり、風は くるるくるる いたずらをする。
なぜ、銀の霧で わたしに目隠しをするの?なぜなの、夏の日よ。」


八ヶ岳南麓に暮らし、デンマークの小さな島に通いながら、自然のなかの草花や鳥や虫などをテーマに水彩画や版画を制作している友人の今井和世さん。
「いつも引き蘢って描いている」と笑って話す和世さんの絵からは、自然と向き合う静かな息遣いが感じられます。
6月に行われた和世さんの個展に伺った際に、とくに蝶と繭の小さな絵に心惹かれ譲っていただきました。
その絵には、和世さんが好きというエミリー・ディキンソンの詩が刻まれていました。
繭から姿をかえた糸を、自由に舞う蝶のように織ることができたら……とわたしはアトリエに飾っています。

“From Cocoon forth a Butterfly
As Lady from her Door
Emerged—a Summer Afternoon—
Repairing Everywhere—”

異なった時代に3人の女性から生みだされた言葉や絵が、わたしのなかで交差した夏のことでした。

2016年7月29日 | Posted in 綴る |