冬の朝、いつもの時間に雨戸をあけると、この間まではまだ薄暗かったのに、ずいぶんと明るくなり朝日が射し込むようになりました。
それだけで気持ちも明るくなります。
冬の朝、いつもの時間に雨戸をあけると、この間まではまだ薄暗かったのに、ずいぶんと明るくなり朝日が射し込むようになりました。
それだけで気持ちも明るくなります。
もう何年もまえになりますが、師走のころ友人宅に泊まったとき、友人が布団のなかに湯たんぽをそっとしのばせておいてくれました。
なにも知らなかったわたしは、布団に入りひんやりするのを覚悟していたので、一瞬にして緊張がほぐれる温かさと友人のさりげない心遣いに甚く感動しました。
わたしの頭の中には、以前に暮らしていた鎌倉の染料地図があります。
できるだけ身近にある植物で染めたいと思っていて、自宅の庭木はもちろんですが、家の近所を散歩しながら出合う植物で染めるたびに、頭の中の地図に場所と色が記憶されていきました。
山から吹きおりてくる風が冷たいと思ったら、八ヶ岳のなかでも高い山々の頂に雪がかかっていました。
日に日にその面積は広がり麓まで近づいてくるようです。
こちらに移り住んで初めて迎える冬。
いまの彩りを存分に味わっておこうと思います。
台風が接近しているという日曜日の早朝、京都へ向かいました。
師匠である志村ふくみ先生の卒寿のお祝い会に出席するためです。
冬から春に向かうのがゆっくりな寒冷地であるこの辺りは、春がくるのを首を長くして待ちます。
それにくらべ夏から秋にかけては、夏を名残惜しむまもなく秋が駆け足でやってきます。
標高1300メートルのところにある娘が通う保育園では「森のじかん」というのがあって、子どもたちは保育園に隣接している森で多くの時間を過ごしています。
七月の終わりに、福島県奥会津にある昭和村を訪ねてきました。
そこは「からむし織の里」と呼ばれ、ちょうど七月の土用頃から八月のお盆前におこなわれる、からむしの「刈り取り」「皮はぎ」、そして「苧引き(おひき)」の作業を見せていただきました。
未晒しの白い絹糸は、そのままでも存在感があって美しい。
絹糸は、蚕が蛹になる過程で自らを包むためにつくった繭から糸を繰ったものだ。
繭を鍋の中で煮る。蚕が繭をつくっていくのを巻き戻すように、糸口からするするっと空気中に引き出された繊維は、みるみるうちに光の筋のような糸となっていく。